展示施設には、斎藤宇一郎ゆかりの遺品、仁賀保藩および旧仁賀保町歴史資料、古農具やかつて使用された日用品、旧仁賀保町の産業遺産などを展示しています。
第1展示室には、斎藤宇一郎の業績紹介、生家模型、遺品を展示しています。
平成30年(2018年)10月28日
令和4年(2022年)10月14日左右壁に写真額物設置後。
令和4年(2022年)10月14日左側壁、ここには、斎藤宇一郎の家族、学業関係資料を展示。
乾田馬耕実演指導写真。
右側壁、斎藤宇一郎の農業振興活動資料展示。
斎藤宇一郎生家模型。
第2展示室には、旧仁賀保町の自然、歴史遺産を展示しています。
正面の辨天丸は、近畿地方と東北北部の日本海を航行した北前船の模型。
埋もれ木は鳥海山の山体崩壊により埋没した古代杉の大木。
徳川家康が仁賀保兵庫に宛てた書状。
第3展示室には、仁賀保家の遺産、旧仁賀保町の産業遺産を展示しています。
仁賀保家の鎧・兜。
豊臣家が仁賀保氏に宛てた朱印状。
TDKなどにかほの産業展示。
江戸時代、仁賀保藩江戸屋敷に押し入り、捕まった厄病神が、仁賀保藩屋敷には、以後決して襲いませんと詫び状を書きました。
厄病神の詫び証文は、以後関東一円で厄病払いのお札として大流行しました。
厄病払いお札シール作成。
令和2年(2020年)コロナウイルスが世界中に大流行、日本でも当年開催予定のオリンピックが延期されるなど、社会生活が大きく制約されました。
にかほ市では、まだ開発できてないワクチン接種に先立ち、厄病除けシールを作成し全戸に配布しました。
効果は抜群、にかほ市のコロナ発生を極めて軽微に抑え込みました。
当館は、来館者の希望者に、このシールを提供しました。
令和3年(2021年)3月16日 NHKラジオ「まいあさ」でにかほ市の永田さんが厄払いお札を紹介しています。
をクリックすると「お札発行のいきさつ」紹介を再生します。
収蔵室には、旧仁賀保町内外篤志家からの寄贈、当会が収集した古農具、古日用品などを収蔵しています。
収蔵室も閲覧できます。また収蔵品の貸し出しも行います。
当館所蔵品は、公開展示希望者への貸し出しを行っています。トップページでは、秋田県立博物館特別展示「斎藤宇一郎と斎藤憲三」を紹介しています。
令和元年(2019年)には、秋田県大仙市秋田県農業博物館の「昔の米作りの道具」で当館所蔵荘司玉苑の農作業絵、古農具が展示されました。
荘司玉苑の農作業絵。湿田で使用された鍬、代かき用器具など。
荘司玉苑の農作業絵。箕(み)は穀物の脱穀、選別、調整、運搬に使用される。
箕の使い方は、穀物や豆類などを入れ、両手で縁を持って揺り動かし、風にあおりながら穀物と塵埃(じんあい)や籾殻(もみがら)などをえり分けるなど。
左が唐箕(とうみ)、中央が縦線選別機、穀物、特に米の選別に利用。
右の棚には、1斗升、藁加工器具が展示されています。
当館には広く市民をはじめ、社会学習に訪れる小学生、歴史・農学研究者、農業者、海外からの日本文化に興味を持たれる方が訪問されます。
令和3年(2021年)12月7日 平沢小学校4年生。
平成30年(2018年)10月9日 平沢小学校生徒、社会学習。
令和元年(2019年)8月2日 アジア学院学生。
平成30年(2018年)10月24日 TDKの各国工場マネージャー研修。
令和5年(2023年)12月15日 院内小学校4年生。
令和6年(2024年)3月21日 大仙市「ペアーレ大仙歴史探訪」の皆さんがご来館。
当館では、斎藤宇一郎記念会主催・共催、他団体主催の各種講演会が実施されます。
平成31年(2019年)1月27日 立正大学文学部 藤井明広先生の講演。
令和元年(2019年)10月22日 弘前大学名誉教授 長谷川成一先生の講演。
令和6年(2024年)1月28日秋田テレビ(AKT)で「秋田人物伝 斎藤宇一郎」が放映されました。ポイント画面を紹介します。
斎藤宇一郎記念会事務局に録画DVDを保管しています。録画を見たい方、DVD貸し出し希望の方は申し出て下さい。
なお、掲載する画像、内容は本ホームページと重なる部分が多くあります。
初期画面:秋田テレビ(AKT)「秋田人物伝 斎藤宇一郎」。
斎藤宇一郎銅像:にかほ市仁賀保公園に設置。
乾田馬耕:斎藤宇一郎は農業振興策最大の柱「稲作技術改革による米の安定生産・増産」に尽力しました。
そこで地域農民に「深耕、堆肥、排水」に努めるよう指導しました。
特に深耕と排水を改善したのが乾田馬耕でした。
乾田馬耕以前の耕起作業:乾田馬耕以前の湿田では、鍬を使った手作業で土を掘り起こしました。
乾田馬耕以前の作業体験:細谷さんは、乾田馬耕以前、膝上までぬかる湿田で、ヒルや蚊などの害虫にも悩まされた過酷な作業体験を語りました。
良質堆肥生産:良質米の増産には、地力向上が不可欠で、そのため良質堆肥施用が勧められました。
乾田馬耕のためにも農耕馬飼育、その副産物として良質堆肥が生産され、堅牢な堆肥舎で保管されました。
秋田県種苗交換会:秋田県の三農聖と呼ばれる石川理紀之助、森川源蔵、斎藤宇一郎らが開催に尽力しました。
毎年の交換会では農事功労者に斎藤宇一郎記念会賞を贈呈しています。
令和5年(2023年)は大豆生産に優れた成果を上げた潟上市の羽立集落営農組合が表彰されました。
横荘線建設:明治から大正にかけ奥羽横断鉄道建設が構想され、秋田県では横手・本荘間の鉄道を計画し、大正5年(1916年)横荘線鉄道株式会社設立されました。
斎藤宇一郎が初代社長に就任し建設を開始しました。
その後横手・大森間、本荘・前郷間が部分開通しましたが、戦争など社会が大きく変動する中で事業は中止されてしまいました。
政治活動:斎藤宇一郎は明治35年(1902年)衆議院議員に初当選、その後連続8期23年間議員として在籍し、小作保険法など農業振興と地域振興に取り組みました。
斎藤宇一郎の家族:斎藤宇一郎は慶応2年(1866年)父茂助母トキオの長男として誕生。明治27年(1894年)佐賀県出身の原ミネと結婚。男子4人が誕生しました。
斎藤宇一郎の遺訓:斎藤宇一郎の業績、遺訓は今も地域に活きており、斎藤宇一郎は仁賀保神社に合祀されました。生家の一部は斎藤宇一郎記念館に再現されています。処世訓は「功は人に譲り責は己が負う」。
斎藤宇一郎を讃える歌:毎年7月12日仁賀保神社・斎藤神社の例大祭時に、平沢小学校6年生児童が合唱します。